楊州市は三韓時代には馬韓に属していたと思われる。三国時代には楊州市一帯が軍事的な要衝の地として百済地域に位置していたが、高句麗の南進によって高句麗の買省郡または昌化郡と呼ばれ、後に再び百済に返還されるなど、三国の角逐によってその変化が大きかった。
統一新羅の景徳王(757年)の時代にはレソ郡に属し、高麗の太祖の時代には見州に、朝鮮の太祖6年(197年)には州内面古邑里となった。そこから楊州と改称され、世祖12年(1466年)には楊州牧に昇格、高宗32年(1885年)に楊州郡、2003年10月19日に楊州市となった。
2000’s
- Oct. 19 2003
楊州市に昇格(1邑4面6洞)
- Oct. 1 2001
白石面を白石邑に昇格
- Oct. 1 2000
州内面を楊州邑に昇格(2邑5面)
- Sep. 29 2000
郡庁舎を州内面南坊里に移転
1900’s
- Oct. 1 1985
檜泉面が檜泉邑に昇格(1邑6面)
- Jul. 1 1981
東豆川邑が東豆川市に昇格(7面)
- Apr. 1 1980
南楊州郡が新設、分郡(1邑7面)
- Jul. 1 1973
九里面が九里邑に昇格(2邑14面)
- Jan. 1 1963
議政府邑が議政府市に昇格分離、ノヘ面の9の里と九里面の5の里がソウル特別市に編入
- Feb. 5 1946
漣川郡南面を編入(1邑16面)
- Oct. 1 1922
郡庁舎を州内面ユヤン里から柴芚面(現、議政府市)に移転